東大寺は奈良の中心部にあり、近鉄奈良駅またはJR奈良駅からバスで10分以内、歩いても30分くらいで行けます。
このお寺は、奈良時代(8世紀)聖武天皇によって建立されました。聖武天皇は権力闘争や病気の流行、反乱などが頻発する当時の不安定な世の中を、仏教思想によって治めようとして、国ごとに国分寺と国分尼寺の建設を命じました。東大寺は、全国の国分寺を総括する「総国分寺」として位置付けられました。
東大寺の建設は8世紀ですから、仏教伝来から150年以上たっていて、日本独自の伽藍配置になりました。仏教伝来当時の伽藍配置(たとえば四天王寺)では仏舎利を安置する塔が最重要視されていましたが、徐々にご本尊を安置する金堂の重要性が強調され始め、東大寺ではそれがますます強調され、塔は中門の外に配置されています。
このように、当初の配置は、南大門、中門、金堂(通称大仏殿)、講堂が南北に一直線に並び、中門と南大門の間に東西に塔が配置されていました。しかし、その後の内乱や失火、自然災害などにより、西塔、東塔、講堂は焼失あるいは倒壊し、現存する建物は、南大門および中門、大仏殿、回廊だけになってしまいました。
南大門
東大寺の正門です。現在の南大門は鎌倉時代(1199年)に再建されたもので、国宝建築物です。門を形成する大円柱は、18本、21mもあり、屋根裏まで達していて、門の高さは25.46m、横幅は約12mです。お寺の門として日本最大です。2階建てのように見えますが、1階建てです。
門内に安置されている金綱力士像は、1203年、運慶、快慶が率いるチームによりわずか69日で造像されたそうです。像の高さはいずれも8.4m。国宝に指定されています。
門には天井がなく、屋根裏までその骨組みを見ることができます。写真からもわかるように、縦に立っている大円柱に多数の水平に貫通する横木が通っています。これにより、縦横の揺れに対する耐久性を上げているそうです。これは「大仏様(だいぶつよう)」と呼ばれる建築様式だそうです。
南大門は24時間開放されています。人間はもちろん、鹿も自由に行きしています。
南大門を抜けると中門、その後ろに大仏殿の屋根が見えます。中門と南大門の間には鏡池があり、その周りに鹿がゆっくりとくつろいでいるのが見えます。中門は江戸時代(1716年ごろ)の再建と伝えられています。
中門の東西側から回廊が伸び、大仏殿につながっています。この回廊の柱は、四天王寺や法隆寺のようなエンタシス風の柱ではなく、異国情緒は感じさせません。
大仏殿
東大寺のご本尊、廬舎那仏が安置されている金堂を東大寺では大仏殿と言い、境内で最大の建築物で国宝です。建物の正面の幅は57.5m、奥行きは50.5m、高さは49.1m(しかし、これは創建当時の約4/3程度)です。江戸時代中期(1709年)の再建で、その後、明治時代、昭和時代に大規模な修理が行われたそうです。これも南大門と同じく、2階建てのように見えて、実は1階建てです。建物の上のほうに見える戸のようなものは「観相窓」と言い、これを開けると外から大仏様のお顔を拝観することができます。
大仏殿の手前にある八角燈籠は、たびたび修理されているものの、奈良時代の創建当時のものだそうです。高さは4m64cmです。8角形で、扉の4面には獅子が、残りの4面には楽器を奏でる音声(おんじょう)菩薩が浮彫で表されています。これも国宝に指定されています。
建物の中に入るとすぐにご本尊の廬舎那仏が見えます。確かに大きくてとても威厳があるのですが、遠くから眺めるのではなく近くに寄れるので、親しみもわきます。
大仏の座高は約15m、手のひらは約3m、足のサイズは約4mで、鼻の穴は人が通り抜けられるほどの大きさだそうです。749年に完成し、752年に聖武天皇により大仏開眼供養会が行われました。その後2回焼失し、その都度再興されたそうです。今残っている大仏は、頭部は江戸時代、体部は鎌倉時代の補修ですが、台座など創建当時の部分も残っているそうです。
大仏殿の中にはこの大仏様の他に大きな仏像が4つも安置されています。
大仏様の左側に右脇侍として虚空蔵菩薩、右側に左脇侍として如意輪観音が安置されています。これらは江戸時代の作だそうです。
また、大仏様の後ろに回ると、広目天と多聞天がおられます。
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