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法隆寺

 法隆寺は、日本で一番有名で、世界的に見ても知る人が多い寺院だと思います。聖徳太子により造立を発願され、607年ごろに完成したと言われています。ところがこの寺は670年、火災により全て喪失してしまいました。その後すぐに再建が始まり、711年までに再建は完成し、それが現在まで残っていると伝えられています。法隆寺の建築物群は、日本で初めて(1993年)ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
 法隆寺の境内には、西院伽藍(さいいんがらん)、東院伽藍(とういんがらん)などがありますが、今回は西院伽藍をご紹介します。
*伽藍:お寺の建物、またはその建物が集まった場所

法隆寺 西院伽藍配置

 この配置を法隆寺式伽藍配置と言います。日本の寺院では、中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺様式が最も古く、法隆寺も、創建当時の伽藍配置はこの様式だったそうです。この配置は中国から輸入されたそのまま、つまり中国のお寺の伽藍配置です。ところが、再建された配置は塔と金堂が左右に並ぶ配置になりました。日本では、100年足らずの間に金堂(仏像(ご本尊)が安置されている)の重要性が増したと考えられています。

 南大門です。1438年(室町時代)に建てられたこの門は、法隆寺全体の玄関であって、西院伽藍の建築物ではありません。法隆寺を訪れると、まず、この門が出迎えてくれます。

  • 南大門の入り口から西院伽藍が見えます。

  • 南大門から中門まで、結構な距離があります。

中門
 南大門をくぐると、正面に西院伽藍が見えてきます。最初に通るのが中門(仁王門)で、西院伽藍の入り口です。横約7.2m、奥行き5.5mの二重門(2階建て門)で、入り口が2つある(入り口の真ん中に柱がある)のは珍しい造りです。700年初めの再建と言われています。入り口には几帳がかけられていますが、そこに描かれている紋様は日本最古の「多聞天紋」と呼ばれるものです。この几帳は五重塔、金堂、講堂にもかけられています。
 門の両脇に建つ仁王像(金剛力士像)は粘土で作られた塑像で、高さは約3.8mあります。この像が造られたのが711年と言われていますので、1200年以上たっています。

  • 向かって左(西)側にある吽形。

  • 向かって右(東)側にある阿形

 中門の北側には、向かって左(西)に五重塔、右(東)に金堂が建っています。

五重塔
 五重塔は高さ32.56m、最初の層の大きさは5.5mの正方形で、上に行くにつれて徐々に小さくなり、最上層は約半分の大きさになっていて、塔全体を眺めるとAライン状になっています。また、六重塔に見えますが、一番下は、重い瓦屋根を支えるため備えられた、木で作られた裳階(もこし)で、屋根ではありません。700年代初めの再建と言われ、世界一古い木造の五重塔です。木造で、地震や台風など災害の多い地で、1300年も持ちこたえているのは、この塔の制御構造(耐震構造)にあるそうです。

 塔の中には、仏舎利の他に、塑造の群像(釈迦の入滅を悲しむ仏弟子の像、釈迦に関する説話の場面を表す塑造の小群像など)が安置されています。一番下の屋根の上に見える装飾は「卍崩し(まんじくずし)」と言い、中国の古い建築様式です。

  • 卍崩し

  • 裳階の下から撮りました。


    五重塔はどこから見ても絵になりますね。

金堂
 金堂は高さ16m、9m×7.5mの大きさです。2階建てのように見えますが、下層の屋根の下にあるのは裳階で、実は1階建てです。金堂にも五重塔で見た卍崩しの装飾があり、その下に「人字形割束(ひとじがたわりづか)」と呼ばれる人という字に似た短い柱があります。これらは中国の古い建築様式です。また、上の屋根を支える4本の支柱にはそれぞれ龍の彫刻が施され、よく見ると昇龍と降龍であることがわかります(顔の位置を確認してください)。さらに、下の屋根の四隅には獅子と象の彫刻が施されています。法隆寺の再建はまず金堂から始まったと言われ、600年代終盤の再建であると言われています。

 堂内には、釈迦三尊像、薬師如来像、阿弥陀如来像などが安置されています。

大講堂
 五重塔、金堂の北側に建つのが大講堂です。元は回廊の外にあったのですが、990年(平安時代)に再建された時に回廊を延長してこの講堂に取り付けたそうです。大きさは横幅16.2m、奥行7.2mです。仏教の学問を研鑽した施設です。現在、この堂の中には「薬師三尊像」と「四天王像」が安置されています。

回廊
 中門と大講堂を繋ぎ、五重塔と金堂を囲む回廊です。エンタシスの柱が有名です。回廊の幅は3.7m、西側の長さは約72m、東側は約76mです。回廊の内側はエンタシス柱で、外側は連子窓(れんじまど)になっていて太陽の光が差し込みます。大講堂の手前、西側に経蔵、東側に鐘楼があります。ちなみに、このエンタシスの柱はこの回廊だけでなく、西院伽藍の全ての建物で使用されています。

  • エンタシスの柱

    経蔵(左側)と大講堂

  • 連子窓

    鐘楼(右側)と大講堂

 伽藍全体を北側から見るとから、向かって左が金堂、右が五重塔、奥に中門が見えます。

南側から見ると、五重塔と金堂の間の奥に大講堂が見えます。

  • 東側から

  • 西側から

 法隆寺、いかがでしたか?
 西院伽藍の全ての伽藍(中門および五重塔、金堂、大講堂)の入り口に、多聞天紋が描かれた几帳がかけられているのは、どこかかわいらしい感じがしました。
 木造建築でありながら、特に五重塔は、大地震や台風にあったにもかかわらず、1000年以上も持ちこたえられたのは、独特な制振構造(耐震構造)のためだそうです。簡単に言えば、各層はそれぞれ独立して積み上げられているだけの構造で、揺れがきてもその揺れ(横揺れ)に同調するように動き、さらに心柱によってその横揺れを抑える仕組みになっているそうです。
 いろんな時代に修復が重ねられているのですが、飛鳥時代(700年前後)の建造物が現代にも残っているのは驚きです。法隆寺はどの時代の日本人にも愛された寺院なんだと思います。このような文化遺産を残していることに関し、日本人として誇りを感じます。

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