前回まで古風な町並みや町に残る和風建築物、洋風建築物をご紹介しましたが、今回は八幡山およびその山頂にあるお寺と、山の麓にある八幡宮とをご紹介します。
1.八幡山と山上散策コース
市街地の北側には標高271.9mの八幡山があります。山の麓から山上にはロープーウェイを使って4分ほどで到着します。山頂駅からは一周歩いて30分ほどの散策コースが整備されています。豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)はこの山に八幡山城を築き、その城は本丸、二の丸(南東)、西の丸、北の丸、出丸(南西)からなる城郭を持つ、中世の城の形態である山城の形を取る最後の城でした。城は秀次が豊臣家の後継者争いの中自刀した後廃城となり、今は石垣しか残っていません。散策コースは城跡に作ってあり、山道ですが歩きやすく整備されていました。西の丸跡や北の丸跡など平になった場所もあり、そこから近江八幡の市街地や琵琶湖などを見渡すことができます。行った日は天気が良くてとても気持ちがよかったのですが、3月でしたので春霞がかかっていて遠景はぼおっとしか見えませんでした。
2.村雲御所瑞龍寺門跡
山上駅から野面積み*の石垣を見ながら歩いてすぐの所、八幡山城の本丸跡に、秀次の菩提を弔うためのお寺、村雲御所瑞龍寺門跡(日蓮宗)があります。お寺は秀次の生母により1596年(文禄5年)京都嵯峨に創建されました。1961年(昭和36年)京都から秀次ゆかりのこの地に移築されました。訪れた日はお寺に伝わるひな人形が展示されていました。その数の多さと見事さに気を取られ、お寺の建物外観や内部をしっかり見ていないことに後から気づき、悔しい思いをしています。本堂や廊下には木村英輝さんの絵がありました。寺は尼門跡**で、そのせいか優しい雰囲気(人当たりや室内の装飾)のするお寺でした。
*野面積み(のづらつみ):自然石や割石をほとんど加工せずに積み上げて石垣を作る方法。石垣が作られ始めた頃の手法で、石の形に統一性がないため石と石の間に隙間が空き、その隙間には小石が詰め込まれている。
**尼門跡(あまもんせき):代々皇女や公家の娘が住職に就かれる門跡寺院。門跡寺院とは皇族や摂関家など身分の高い人たちが出家して住職などを務める寺院のこと。
3.日牟禮八幡宮
八幡山の麓にある日牟禮(ひむれ)八幡宮は、131年に草創されたと言う伝承が残るとても古い神社です。豊臣秀次による八幡山城築城の際は社殿の移転が計画されましたが、八幡山城の廃城により移転は中止され、その姿は現在まで維持されました。城がなくなった後も町は近江商人の町として発展し、八幡宮はその守護神として崇敬を集めました。楼門を潜ると目の前に拝殿が現れ、拝殿の両横にある階段を上がると本殿と末社が並び、どれも古い木造建築でした。訪れた日は左義長祭りの前日で、境内には祭りの準備をする人やトラックが入っていて、ざわついていました。左義長祭りは鎮護国家、五穀豊穣を祈る火祭りで、秀次により城下町を開いたのと同時に八幡宮の祭礼として定着したそうです。
近江八幡はいかがでしたか?
町としてはそんなに大きくはありませんが、和風住居建築や洋風建築、古い神社仏閣建築まで見ることができ、いろいろな風景が楽しめます。今回は時期的に運行されていなかったのですが、八幡堀では船を使って八幡堀めぐりや琵琶湖まで行ける水郷めぐりがあります。今度は船に乗ってみたいと思っています。


























































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