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節分は季節を分けるという意味を持ち、各季節の始まりの日(立春、立夏、立秋、立冬)の前日を言います。したがって節分は年に4日ありますが、この言葉は江戸時代以降立春の前日を指すようになりました。昔の人は、立春を新年の始まりととらえていてそれをとても大切に思い、春が始まる前の日、つまり冬と春を分ける日だけを節分と呼ぶようになったそうです。また、季節の変わり目には邪気(鬼-病気や災害、特に疫病)が生じると信じており、宮中ではそれを追い払うための行事(追儺(ついな)、豆まきなど)を行い、それが民間にも伝わり、今の風習になったようです。節分祭は年の変わり目に邪気を払い、新しく来る1年の無病息災を願う行事です。今年の立春は2月3日なので節分は2月2日でした。
節分の発祥は中国で、平安時代に日本に伝わり、日本古来の考え方と合わさって日本独自の行事となりました。この節分の行事、お寺でも神社でも行われていて、不思議な感じですが、それはこの行事が明治以前まで定着していた神仏習合による信仰だからです。明治の初期に神仏分離が行われてから神社と仏閣のすみ分けが生まれましたが、この行事はそれ以前からの日本人の信仰の形が残っているようです。
今回は京都の神社仏閣で行われる節分行事を見に行きました。聖護院、須賀神社、吉田神社と回ったのでその様子をご覧ください。
1.聖護院
このお寺は、白河上皇の熊野御幸に先達を務めた増誉(ぞうよ)大僧正が天皇から賜ったのが始まりとされ、出家された皇族や摂家の方がたびたび住職を務められる門跡(もんぜき)寺院です。江戸時代、天皇が住居とされたこともあります。また、こうした雅な側面の一方で、野山に分け入って修行する「修験道」を実践する、本山修験宗の総本山でもあります。
節分祭では、ろうそくの献灯(1つ50円)で「ロウソク一丁」の掛け声とともにご祈祷していただけます。さらに、宸殿(天皇の住居)、本堂の中に立ち入ることもでき、江戸時代の加納派の襖絵を見ることができました。この寺では赤鬼と緑の鬼に会うことができました。話しかけると返事をしてくれ、節分に関するお話もしてくれた、やさしい鬼さん達でした。出番が来るまで境内をうろうろしてみんなに愛嬌をふりまいていました。修験者の姿も見ることができました。
隣にある積善院準提堂にも行きました。積善院は聖護院の塔頭で鎌倉初期頃の創建、準提堂は江戸時代の建立で、この2つのお寺は明治の始めに合併されました。
2.須賀神社
積善院準提堂から道路を隔てて向かいに須賀神社があります。須賀神社の創設は1142年(平安時代末期)、昭和39年(1964年)に交通神社が分祀されました。
この神社の節分祭は追儺招福豆まき(ついなしょうふくまめまき)と言われ、縁結びの神にちなんで翁と媼姿によって行われます。ちょうど訪れた時、後10分ほどで豆まきが始まるということで、境内は人でごった返していて身動きが全く取れない状態でした。節分祭では、烏帽子(えぼし)水干(すいかん)姿、白い布で顔を隠した懸想文売り(けそうぶみうり)が梅の枝に文を付けた懸想文(恋文)を売り歩くという、この神社独特の行事が行われます。懸想文売りは、平安時代に教養はあるが金のない貴族が顔を隠し、文字を書けない庶民のために懸想文(恋心を書き綴った恋文)の代筆をしたのが起源とされています。現在では恋文ではなく、縁起を祝う文言が書かれています。これを鏡台や箪笥に入れて置くと容姿端麗になり、衣装も増えるご利益があるとも言われているので、私も買ってみました。楽しみです。
3.吉田神社
須賀神社から10分ほど歩いて吉田神社に行きました。ここは節分で全国的に有名な神社です。西暦859年、平安京の守護神として創設され、境内には、全国の全ての神々を祀る大元宮があります。本宮に行く前に寄ってみましたが、ここもすごい人で参拝はあきらめました。
この神社の節分祭は室町時代に始まり、京都の一大行事となりました。例年約50万人の参拝者が訪れ、境内は多くの露店と厄除祈願や御神札を求める参拝者の人波で埋め尽されます。節分の前日に大元宮で疫神祭りが、本宮で追儺式(ついなしき)が行われ、節分当日には火炉(直径4m、高さ4m)に納められた参拝者が持参した古い神札を焼き納める火炉祭が行われます。境内には一般参拝者に混じって舞妓さん芸子さんが仮装をして参拝されていました。また、この神社の鬼は怖くて、「わおーっ」と言いながら迫ってくるので、本気で泣いている子供もいました。露店も数多く立ち並んでいました。













































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