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天王寺七坂(1)

 古代の大阪湾は、現在の大阪平野の大部分に広がり、東は生駒山麓の西側まで至り、その海に上町台地が半島のように南から突き出ていました。
古代の大阪の地形

参考のため、現在の大阪平野の地形も示します。

 縄文時代、弥生時代に川が運ぶ砂の堆積が進み、古墳時代からは人の手も加わり、どんどん土地の部分が広がっていきました。
 現在、上町台地は大阪市の東側に位置し、北は大阪城付近から南は住吉大社の辺りまで南北約9kmにわたって続く台地を形成しています。
 今の地形からは古代の様子は全く想像もできませんが、上町台地あたりを散策すると、そのころの名残かなと思わせる地形に行き当たります。その1つに天王寺七坂(ななさか)があります。
 天王寺七坂は、大阪市天王寺区の上町台地の西側斜面にある7つの坂で、これらの坂は、古代は、海の波が打ち寄せる断崖絶壁だった所です。

赤で示した道が七坂で、上(北)から順番に
(1)真言坂
(2)源聖寺坂
(3)口縄坂
(4)愛染坂
(5)清水坂
(6)天神坂
(7)逢坂
です。

 それでは、天王寺七坂巡り、北のほうから行ってみましょう。
(1)真言坂(しんごんざか)
 一番北に位置するこの坂は、七坂の中で唯一南北に通っています。坂の長さは70m、そして高低差は8mです。名前は、このあたりに真言宗のお寺が十坊あったことに由来するそうですが、明治時代、神仏分離により全て撤去され、今は普通の建物が建っています。北から坂を上っていくと、古代から続く古い神社である、生國魂神社の北の鳥居の前にある石段に突き当たります。

  • 石段から真言坂を眺める

    生國魂神社拝殿

    境内からの見る周りの景色

  • 石段と北の鳥居

    神社の正面にある大きな鳥居

    高い場所にあることがよくわかります。

(2)源聖寺坂(げんしょうじざか)
 坂下にある寺院源聖寺が名前の由来です。坂の入り口は石畳ですが、途中から勾配が急になり石段になります。長さ120m、坂の高低差は15mです。

  • 美しい石畳

    案内板に記載された銀山寺

  • 勾配が急になると石段に

    同じく齢延寺

(3)口縄坂(くちなわざか)
 名前の由来は、坂の下から眺めると道が口縄(大阪の古い言葉で「蛇」を意味する)のようであることからなど、諸説あるそうです。坂の長さは130m、高低差は15mです。坂を上りきった所に織田作之助の小説「木の都」の一節が刻まれた文学碑があります。

  • 坂の下から

    登りきった所にある文学碑

  • 坂の上から

    坂沿いにあるお寺

 今回はここまで。次回をお楽しみに。

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