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前回ご紹介したように、近江八幡は近江商人の故郷で裕福な商人が残した日本家屋が今でも多く残っていますが、同時に明治時代アメリカから来日し、特に関西に多くの建造物を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した建造物も残っています。彼は25歳で八幡商業高校の英語教師として来日し、83歳の生涯を閉じるまで近江八幡で暮らしました。彼はキリスト教に基づく社会貢献活動を行い、これを支えるために建設会社や製薬会社などの企業活動を展開しました。メンソレータムで有名な近江兄弟社は彼が設立した会社です。今回はヴォーリズが近江八幡に残した建造物を見ていきたいと思います。

1.池田町洋風住宅街
2.旧忠田邸(日牟禮カフェ特別室)
3.ハイド記念館(ヴォーリズ学園)
4.ヴォーリズ記念館
5.旧八幡郵便局
6.アンドリュー記念館
7.近江八幡教会、教会牧師館、地塩寮
8.市立資料館
9.白雲館
1.池田町洋風住宅街
JR近江八幡駅から約2kmほど北西に行くと、ヴォーリズが設計した洋風住宅が並ぶ池田町洋風住宅街があります。ここにある建物は、アメリカ開拓時代のコロニアルスタイルの住宅で、赤レンガの塀と大きな煙突が特徴です。赤レンガ塀の続く通りは独特の雰囲気が漂いますが、ここは観光地ではなく住宅街なので観光にはそれなりの配慮が必要です。

2.旧忠田邸(日牟禮カフェ)
近江八幡の老舗和菓子屋「たねや」の洋菓子部門であるクラブハリエの店の奥には日牟禮カフェというカフェがあります。普通にお茶する部屋の奥は2階建ての建物に続き、それが1936年(昭和11年)に建てられたヴィーリズ設計の旧忠田邸です。建物には4つの部屋があり、部屋の内装もヴォーリズが設計しました。部屋にはそれぞれに名前がついています。予約制の特別室ですが、どの部屋もとてもいい雰囲気で、特別な日のここでのお茶は素敵な思い出になるかもしれません。なお、たねやが洋菓子の製造を始めたのはヴォーリズの勧めがあったからだそうです。
3.ハイド記念館と教育会館
メンソレータム社の創業者ハイド氏の建築費の寄付により、ヴォーリズが幼稚園の園舎として設計し、1931年に建設されました。2003年(平成15年)まで幼稚園として使用され、今は記念館として一般公開されています。また、講堂兼体育館も建設され、これも教育会館として残っています。1937年(昭和12年)、来日したヘレンケラーがここで講演を行ったそうです。
4.ヴォーリズ記念館
これは、ヴォーリズ夫妻の晩年の住まいとなった2階建ての洋館で、今はヴォーリズの日常生活に関する数々の遺品や資料を保管、展示する記念資料館として使用されていす。ヴォーリズが設計し、1931年(昭和6年)に建てられました。外観は板張りで見た目質素な感じですが、中は洋室だけでなく日本間もあり、日本人の妻のための心配りもされているそうです。なおヴォーリズは日本に帰化しており、日本名は一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と言いました。

5.旧八幡郵便局
これもヴォーリズの設計により1921年に竣工し、1960年まで郵便局の局舎として使用されていました。スペイン風の2階建ての建物は、旧市街中心部のランドマーク的役割を果たしている。玄関部分は残念ながら取り壊されましたが、2004年(平成16年)に復元されました。現在はギャラリーやイベント会場などの多目的スペースとして活用されています。
6.アンドリュース記念館
これはヴォーリズ建築最初の建物で、1907年(明治40年)にヴォーリズの親友であったアンドリュース氏を記念して、近江八幡YMCA会館として建てられました。建物の老朽化により1987年にその使命を終えましたが、保存再生が計画されているそうです。
7.八幡教会牧師館(地塩寮)
1940年、近江兄弟社の独身青年社員宿舎としてヴォーリズにより建てられました。1984年(昭和59年)、近江兄弟社と関係の深い近江八幡教会が取得し、牧師館として、1階は教会の集会や会議として、2階は牧師家族の住居として用いられています。外観は現在も建築当時のまま姿を残しているそうです。































































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