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近江八幡(1)ー近江商人の町

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 滋賀県の近江八幡市は滋賀県の中部、琵琶湖東岸に位置する市で、大阪駅から新快速で約1時間、快速で1時間半ほどで行けます。近江八幡と言えば近江商人発祥の地として有名ですが、それと同時に大阪や神戸にもいくつかの建物を残している建築家でもあるウィリアム・M・ヴォーリズが住んだ町としても有名です。
 今回から3回に分けて近江八幡市をご紹介したいと思います。

 まず、第一回目は、近江商人が残した江戸時代の商家を中心に、昔の面影が残る街並みを案内します。
 町の案内板の説明によると、近江八幡は安土城が落城した後、豊臣秀次が安土に隣接した八幡山に城を築きその麓に城下町を建設し、安土にいた商人を移住させるなどして、商業中心の町を作ったそうです。この地は街道が整備され陸の交通も便利になっていくとともに、琵琶湖の湖上交通も利用できました。近江商人の中でも、特にこの地の商人を八幡商人と言います。交通網の発達の最初からかかわることができた八幡商人は、江戸日本橋にも出店しています。彼らの商売の方法は、地場産業の特産品を行商し(持ち下り荷)、その土地の特産物を仕入れて帰る(登り荷)というものでした。そして行商により一定の販路ができるとその土地に出店を開き、出店相互間で商品を回転させる「産物廻し」も行いました。彼らの商圏は日本国内にとどまらず、鎖国が行われる前にはベトナムやタイなどにも及んでいたそうです。
 八幡の城下町では豊臣秀次、次いで京極高次が城主となりましたが、城は文禄4年(1595年)破却され、再建されませんでした。そして慶長5年(1600年)幕府の直轄領となりました。ただ、町の運営は「惣年寄り」と呼ばれる有力町人(商人)にまかされていたようです。

 では、近世の風情が残っている新町通りや八幡堀沿いの近江商人が築いた町並を見ていきましょう。

旧市街

 地図を見るとよくわかりますが、この町の道は縦横に碁盤の目のように通っています。豊臣時代に計画された町の設計がそのまま残っているのでしょうか。
 JRの近江八幡駅からバスに乗って10分ほどで目的の建物が集まっている地区につきました。新町通りには資料館、旧西川家、旧伴家住宅があり、家の中も見せてもらえます。この通りや他の通り、それに八幡堀周辺にも立派な古い木造建築があり、歩いていて興味は尽きません。

1.近江八幡市立資料館(郷土資料館と歴史民俗資料館)
 郷土資料館はこの地の代表的な商人、西村家の宅地後に建てられたヴォーリズ設計による洋館で、元は八幡警察署として使用されていたビルです。行った時期が3月だったので、館内には商人の家に伝わるひな人形も展示されていました。また、往時の八幡商人の暮らしぶりがわかる歴史民俗資料館があり、美術工芸品や文書など多くの資料が展示されていました。家具や調度品もそうですが、ひな人形は見たこともないようなぜいたく品でした。やはり商人はお金を持っていたようです。

  • ヴォーリズ設計の資料館

    当時使われていた家財道具

  • 敷地内にある郷土資料館

    豪華なひな人形

2.旧伴家住宅
 江戸初期に活躍した豪商で屋号を「扇屋」と言い、麻布、畳表、蚊帳などを取り扱いました。建物は文政10年(1827)から天保11年(1840)の十数年をかけて建てられたものだそうです。明治以降小学校、高等女学校、図書館などとして使用され、現在は「旧伴家住宅」として一般公開されています。当時としては珍しい3階建ての堅牢な大型商家は見ごたえ十分、とても個人の住宅として建てられたとは思えません。ここでも、豪華なひな人形がたくさん展示されていました。

  • ひな人形

3.旧西川家住宅
 「大文字屋」の屋号で蚊帳や畳表などの商いで富を築いた豪商・西川家の住宅で、1706年に建設された歴史的建造物です。建物は国の重要文化財に指定されていて、近江八幡市立資料館の施設のひとつとして公開されています。

4.街並み
 新町通りや他の通りには江戸から明治にかけて建てられた八幡商人たちの大きく立派な住まいが軒を連ね、国の重要伝統的建造物保存地域に指定されています。したがって、このあたりは景観だけではなく、史跡としても重要な所です。これらの建物には今でも実際に人が住んでおられたり、商売をやっておられたりしています。昔の道標も残っていて活用されています。

5.八幡堀
 ここも、近江商人の邸宅が軒を連ねる新町通りなどとともに、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。白壁の土蔵や昔ながらの商家が織りなす情緒豊かな風景が城下町の面影を今に伝えています。
 八幡堀は、琵琶湖に繋がる運河で、安土・桃山時代、近江八幡が城下町として栄える基礎となった町の一大動脈です。八幡商人の発祥と発展、また町の繁栄に大きな役割を果たしました。昭和初期までは、常に町の人々のなくてはならない流通路でしたが、戦後は陸上交通の発展によって不要となってしまいました。八幡堀は廃れ、ドブ川となり、埋め立ての予定もあったそうです。しかしながら、地元の青年たちの保存再生運動により今は昔の美しさを取り戻しました。堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並ぶ風景は、時代劇等のロケ地としても知られています。

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