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兵庫津七福神巡り(1)

 お正月の間に福をもたらしてくれる七福神にお参りすると、その年の福を授かることができると言われる「七福神巡り」。今年は妹と神戸市兵庫区にある7つの神社、お寺にお参り(兵庫津七福神巡り)しました。
 神戸三宮で地下鉄海岸線に乗り換え和田岬駅に行きました。このあたりは古くから天然の良港、「大輪田泊」として知られ、平清盛、足利義満などの時代に中国との貿易の拠点として栄えました。江戸時代には「兵庫津(ひょうごのつ)」と呼ばれ、海運と陸運との結節点となっていたそうです。
 地図に示すように、和田岬駅を降りて南から北に向かって、「和田神社(弁財天)」、「薬仙寺(寿老人)」、「真光寺(福禄寿)」、「能福寺(毘沙門天)」、「柳原天神社(布袋)」、「柳原蛭子神社(蛭子)」、「福海寺(大黒天)」の順に歩きました。和田神社から薬仙寺までは400m徒歩5分、そこから真光寺までは100m徒歩1分、そこから能福寺までは300m徒歩4分、そこから天神社までは200m徒歩3分、そこから蛭子神社までは300m徒歩4分、そこから福海寺までは20m徒歩1分というように、お寺や神社の間はとても近いので、ゆっくり歩いても半日で廻れます。

 では、兵庫津七福神巡りに出かけましょう。
 和田神社までの道、どこかの会社の塀にはこの町を表す壁画が並んでいました。ペンキではなくてタイルでできたモザイクです。

和田神社(弁財天)
 駅から歩いて約3分のところにあるこの神社は、神代の昔に淡路島から蛭子大神が到着したのが始まりと言われ、海の守り神として崇敬されています。先ず、大きな鳥居に圧倒されました。境内は広くて、複数の神社がありました。巳塚はちょっとびっくりでした。
 

この神社では弁財天が祀られています。弁財天は、芸術特に音楽や財運の神様です。

  • 拝殿

    弁財天

    右から秋葉神社、猿田彦社、宮比神社

  • 拝殿

    高倉稲荷神社

    巳塚

 和田神社から薬仙寺までは400m、徒歩で5分です。道には至る所に標識や看板があり、とっても親切です。

薬仙寺(寿老人)
 薬仙寺は、720年ころに行基が開山したと言われ、日本で最初の施餓鬼会(餓鬼や無縁仏など供養されない死者に施しを行う法会)を行ったと伝えられる、時宗のお寺です。後醍醐天皇が隠岐から脱出した際ご病気になり、この寺の霊泉で薬を作るとたちまち平癒されたことにより薬仙寺という名前が付いたそうです。また、平清盛により後白河法皇が幽閉されたと言われる「萱の御所」跡の碑が門前にありました。
 ここでは寿老人が祀られています。寿老人は長寿、健康を授けてくださいます。

  • 本堂

    霊泉

 次の真光寺に行く途中には、兵庫運河が通っていて、橋がいくつか架かっています。中でも、1924年に竣工した大輪田橋は美しい眼鏡橋なのですが、神戸大空襲や阪神淡路大震災という2つの災害を乗り越えたシンボルとして今、私たちの前にあります。

 また、運河の防潮堤には地元の小、中、高校生の絵が飾られ、「防潮堤水族園」というギャラリーになっています。

真光寺(福禄寿)
 真光寺は850年頃に建てられましたが、一遍上人が中興開祖となられ、51歳で亡くなられたと言われている時宗のお寺です。
 このお寺には福禄寿がお祀りされています。福禄寿は子孫繁栄、財運招福、延命長寿の3つのご利益を授けてくださいます。

 さて、ここで昼食にしました。真光寺の近くにある可愛らしい喫茶店でいただいたランチは、コロッケとミンチカツがメインでした。昔、勤めていたころは昼食にこのようなフライ物の定食をよく食べていましたが、ここ何年もこのようなランチは食べていなくて、なんだか懐かしい気分になりました。

 昼食も終わって、次の目的地である能福寺に向かって歩いていると、またまた壁画を見つけました。これは「津の道大壁画」というそうで、兵庫津の史跡、名所、ゆかりの人達を地元の小学校、中学校の児童生徒が構想を練り、自分達で描いて作った壁画だそうです。

 このように、この町はいろんな所に壁画が描かれていて、上で紹介した以外でも、たとえば、倉庫の壁にも絵が描かれていました。

 次は、今回一番楽しみにしていた兵庫大仏がある能福寺に行きます。

 後半へ続きます。

 

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