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京都には祇園祭を始めとしてお祭りがたくさんありますが、今回は松尾大社の松尾祭りと今宮神社の今宮祭をご紹介します。
祭りとは、神仏や祖先をまつる行為や儀式のことで、特定の日に供物をささげ、祈願や感謝、慰霊を行うことです。子供の頃は、お祭りの時は、お神輿や着飾った馬が町中を練り歩き、参道には屋台が立ち並び、夜になると境内には明かりが灯り人で賑わっているという印象でした。大学生の時、祇園祭が宵山あたりから山鉾巡行までの間ではなく1か月も続くお祭りだと知って驚いた覚えがあります。
では、松尾祭りから見てみましょう。
1.松尾祭り
松尾大社は、公式には「まつのおたいしゃ」と言います。神社がある松尾山に残る磐座(いわくら)での祭祀がこの神社の始まりで、701年、天皇の勅命により秦氏がこの山の中腹に社殿を設けたと言われています。4月下旬から5月上旬にかけて、平安時代初期に始まったと言われる松尾祭りが開催されます。今年は4月20日に神幸祭(しんこうさい、「おいで」とも言う)が行われ、氏子区域に設けられた御旅所(おたびしょ)に3週間神輿が置かれ、5月11日に還幸祭(かんこうさい、「おかえり」とも言う)が行われました。
神幸祭とは神社から御旅所などへ神輿を渡御する祭事で、還幸祭は御旅所から神社へ神輿が戻る祭事です。祭りの期間中、氏子区域(松尾大社の氏子が住む地域で、下記の地図を参照。)内に御旅所が設けられ、日頃、神社へ参拝できない氏子にも神との直接に交歓することを可能にします。
氏子地域マップ

松尾祭りでは、1つの唐櫃と6つの神輿とが神社を出て桂川を船で渡る船渡御が行われます。神社を出た後、台車に載せられた神輿や唐櫃は桂川の土手を上ると、台車から人の肩に移されます。担ぎ手は「ホイット、ホイット」(「元気よく行こう」という意味)という掛け声とともに、神輿を担いで土手を降り、川のすぐそばまで行きます。川には神輿を載せる小舟が待っていて、担ぎ手はじゃぶじゃぶと川に入っていき、用心深く神輿を舟に載せます。ここまでは掛け声や揺れる神輿、舞い上がる砂ぼこりなど勇壮な場面が繰り広げられます。それから、神輿を載せた舟はスウ―と静かに桂川を渡り対岸に着きます。対岸では唐櫃と神輿が7基全部そろって祭事が行われ、その後それぞれの御旅所に向かいます。今回は、この船渡御を見にいきました。
2.今宮祭
現在今宮神社がある地には平安建都以前から疫神を祀る社があったといわれています。正暦五年(994年)、都の悪疫退散を祈り御輿を造営し紫野御霊会を営んだのが今宮祭の起源と言われ、今宮祭は御霊会を起源とする都市の祭礼です。御霊会(ごりょうえ)とは、平安時代に盛んになったとされ、疫病や災害をもたらす怨霊を鎮めるための祭礼で、死者の魂を鎮め、災厄から逃れるための信仰が根底にあります。応仁の乱などの戦火により一時中断したこともありましたが、徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院やこの地域の民衆の力により復興し、現在まで受け継がれているそうです。氏子区域は京都市の北区や上京区に広がり(先に示した氏子地域マップ参照)、西陣織発祥の地であり、京都を代表する機業地である西陣が含まれています。
この祭りでは、5月11日に行われた還幸祭を見学しました。御旅所を出た祭礼の行列が氏子地域を練り歩き、今宮神社に帰っていきます。行列は車太鼓を先頭に剣鉾、八乙女、伶人、御神宝、牛車、獅子舞、神輿3基、神職などが続きます。3基の神輿の内、大宮神輿は京都で最大の神輿だそうです。行進の途中で八乙女の舞が奉納されました。
神輿は台車に載せて運ばれますが、京都の町の道は狭いものが多いです。特に、直角に曲がった狭い道を神輿が通る(辻廻し)時は、見ているだけで手に汗握りました。この辻を曲がるとき、掛け声は「ヨーサー」と言います。「ゆっくり(慎重に)行こう」という意味です。
辻廻し:以下の写真は辻廻しの様子を示しています。1.から7.の順番に見てください。道幅が狭いので神輿が乗った台車は道いっぱいで進んできますが、神輿は台車ごと直角に曲がります。曲がる時は緊張感が広がり、沿道の見物人からも「ヨーサー、ヨーサー」という掛け声がかかります。
また、町内に鉾や懸装品(けそうひん:鉾を飾る豪華な織物や刺繡などの装飾品)を飾ってある場所があり(これを「居祭」と言います)そこも訪ねました。鉾(蓮鉾)は解体した状態で置いてあり、まじかに見ることができました。祇園祭の鉾もそうですが、装飾品、特に緞通織の敷物が素晴らしいです。また、赤い旗は今ではもう作れる人がいないそうです






















































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