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上賀茂神社は、京都市の北側に位置し、京都最古の歴史を有する神社です。かつてこの地を支配していた賀茂氏の氏神を祀る神社として建てられました。御祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)で、別雷神は「雷を別けるほどに強い力を持つ神」、古来より厄除・災難除け・必勝の神として信仰されています。この神社の正式名称は賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と言い、上賀茂神社は通称です。創建については諸説あるようですが、社伝では、桓武天皇の時代(781~806年)に神山(こうやま)の麓に賀茂別雷大神が降臨したのが始まりと伝えられています。
上賀茂神社のご神体である神山

上賀茂神社は、通称下鴨神社、(正式名称:賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)-上賀茂神社と同様に、賀茂一族の祖神をお祀りする神社-とともに賀茂神社と総称され、賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称葵祭)は全国的に有名です。下賀茂神社の御祭神、玉依媛命(たまよりひめのみこと)と賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とは、それぞれ、賀茂別雷大神の母親および祖父です。この2つの神社は鴨川の上流、下流に祀られていることから、それぞれ、上賀茂、下鴨(賀茂)と呼ばれているそうです。
上賀茂神社は、平成6年(1994年)、国宝2棟(本殿と権殿(権殿))および重要文化財41棟を含む23万坪(約760000㎡)の広大な境内の全てがユネスコ世界遺産に登録されました。
では、上賀茂神社の境内の建造物、および神社で行われる四季折々の行事や祭事をご紹介します。
まず、境内にある主な建物をご紹介します。
境内図

図中、上が北で下が南。
大きな祭がある日と日曜祭日には、二の鳥居(1’)の手前にある神馬舎(しんめしゃ)(2)に神馬がいます。にんじんをあげることができますよ。神馬の名前は「神山号」、真っ白な馬で神様の使いです。
二の鳥居(1’)をくぐると正面に見える細殿(ほそどの)(5)は、天皇や斎王が参拝の際に装束などを整える場として使用されていました。境内の中でも特に格式高い殿舎のひとつです。ここで甥は結婚式を挙げました。また、その前にある円錐状の砂山は「立砂(たてずな)」といい、神様が降り立つための憑代(よりしろ)です。
細殿(5)の東側にある建物は、舞殿(ぶでん)(橋殿)(6)および土屋(つちのや)(着到殿)(7)です。舞殿(6)では、葵祭の時、勅使が天皇からの御祭文(ごさいもん)を奏上します。土屋(7)は様々な行事の折に身を清める所で、葵祭の時はここで斎王代が前を流れる川で御禊の儀を行います。舞殿(6)の後ろにあるしめ縄で囲われた場所にある岩は岩上(がんじょう)と言い、葵祭で宮司が御祭文に対し返祝詞(かえしのりと)を申す場所です。
櫻門(8)とその前にある太鼓橋の玉橋のシーンは、鳥居を除き木材そのものの色が多い社殿の中では華やかさを感じる場面だと思います。楼門の先にある中門(9)の奥に国宝に指定されている本殿および権殿(ごんでん)があります。まだ中に入ったことがないのですが、同じ造り(三間社流造(さんげんしゃながれづくり))の社殿が2棟並び、東が本殿、西が権殿だそうです。権殿とは、常設の仮殿で、式年遷宮斎行の際にここが仮の本殿となります。
片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)(10)は、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神の母、賀茂玉依姫命をお祀りし、縁結び、子授け、安産の神様です。上賀茂神社で結婚式を挙げると、本殿とともに、この神社にもお参りします。
三の鳥居(なら鳥居)(14)を出て左手に見えるのが奈良神社(15)で、上賀茂神社の表参道に背を向けて建っています。これに軒を重ねるように建っているのが庁屋(ちょうや)(北神饌所、きたしんせんしょ)(16)で、神饌(神前に供える食事)の調理などを行った場所です。
渉渓園(しょうけいえん)では、平安貴族の遊びである「賀茂曲水宴」などの祭事が行われます。境内の東を流れる御手洗川(みたらしがわ)と西を流れる御物忌川(おものいがわ)は合流して「ならの小川」(18)となります。
上賀茂神社の境内から流れ出るならの小川は境内を出ると二手に分かれ、東へ流れる川を明神川(みょうじんがわ)と言います。この明神川に沿って黄土色の土塀が続く区域があり、社家町(しゃけまち)です。社家とは、神社に代々仕えてきた神官の家柄のことを言います。社家町は、室町時代からこのような街並みが形成されたそうです。昔ながらの土塀と家ごとについている小さな土橋が、結構水量のある明神川と相まって、独特の雰囲気を醸し出しています。
































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