軽井沢は、標高約1000mの所にあり、気温は年平均7.8℃、夏でも20℃くらいにしか上がらず、日本でも有数の避暑地です。江戸時代は中山道が通る宿場町として栄え、明治時代になると一端没落しますが、1888年(明治21年)、カナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーによって避暑地としての歴史が開かれたそうです。
北陸新幹線「あさま」で到着しました。東京駅から軽井沢駅まで、JR北陸新幹線で約1時間20分しかかかりません。
JR軽井沢駅です。
JR軽井沢駅前の風景です。
すぐ目の前にゲレンデがありました。(歩いて行けます。)
駅前にあった交番。
前の軽井沢駅舎です。
先ず、碓氷峠を目指して、駅前から徒歩で出発しました。碓氷峠は中山道の中でも難所の1つとして知られ、見晴台からの展望を期待して行ったのですが・・・
車でしか行けませんでした。(バスも出ています。)
旧碓氷峠の石碑ですが、草ぼうぼうで何も見えませんでした。
これは道すがら見えていた山で、離山と言うそうです。
次からは車で移動しました。軽井沢駅前にはレンタサイクルもたくさんあり、旧軽井沢内であれば、坂もそう急ではないので、自転車でも回れます。
先ず、聖パウロ教会(軽井沢聖パウロカトリック教会)です。1935年(昭和10年)に英国人ワード神父によって設立されたカトリック教会で、傾斜の強い三角屋根、打ち放しのコンクリートなどが特徴です。
中はこんな感じ。
横の壁には、粘土で作った15cm四方のキリストの一生を表した画がずらっと掛けられていました。
パイプオルガン。
天井は、むき出しの木によって形成されたトラス構造をしています。
次は旧三笠ホテルに行きました。このホテルは1906年(明治39年)開業で、その時代の文化人、財界人が多く宿泊したそうです。ホテルとしての営業は1970年(昭和45年)で終了しましたが、竣工当初の建物が多く残されているということで、現在は、内部が一般公開され、博物館のようになっています。建物は国の重要文化財に指定されています。
外観はこんな感じです。後ろに見えるのは八角塔屋、木造の2階建て建築です。
ここから入りました。
建物の内部。玄関から入った所の、営業時はロビーとして使用されていた部屋です。当時使用されていた数々の応接セットやダイニングセットが所狭しと並べられていました。
フロントの後ろにあった、鍵入れと思われるボックス。客室は30室だったそうです。
1階にあった客室です。家具は今見ると全て小さく、明治の人は小さかったんだなあと思います。
廊下と、左の斜めになった長方形の窓は2階への階段です。
2階に上がる中央階段。
2階の客室です。それぞれの部屋に暖炉があり、冬の寒さがうかがえました。
各部屋に置いてある調度品には、精巧な彫刻が施してありました。
廊下の向うに見えるのはサンルームのようです。
どの窓から見ても、庭には深い緑がいっぱいでした。
建物を出た後、道から見た旧三笠ホテルです。
ホテルから歩いて2,3分ほどの所にある、三笠茶屋くんぺい。夕方5時ごろには店じまいしていました。
軽井沢ではこのような風景があちこちに見られます。
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