奈良時代、仏教が日本に伝来してある程度の月日が経っていて、中国で定められた正しい戒律が行われているかが日本ではわからなくなっていました。そこで朝廷は中国から次々に学僧を招待しました。朝廷が招待した学僧の1人が鑑真和上です。唐招提寺は、鑑真和上が、東大寺で5年間過ごした後、759年に戒律を学ぶ人の修行の道場として開いたものです。つまり、天皇の命により建立された官寺とは違い、鑑真和上の私寺として開かれたお寺です。
奈良時代の仏教は、一握りの選ばれた人(僧侶)だけが悟りを開くための方法を研究するもので、彼らは解脱して仏になるために厳しい戒律を守って修行を積んでいました。寺院は、厳しい戒律やルールがある僧侶たちの修行の場でした(上座部仏教)。僧侶は寺院にこもって修行に明け暮れ民衆と触れることはありませんでした。この時代、民衆にとって仏教は遠い存在のようでした。唐招提寺は奈良仏教の南都六宗の1つである律宗の総本山です。南都六宗とは宗派ではなく経典ごとの学派のことです。
唐招提寺には近鉄西大寺駅から橿原線に乗り換えて、西ノ京駅で降りて8分ほど北にいきます。奈良市内ですが、中心地からは少し離れています。唐招提寺は天武天皇の皇子、新田部親王の旧宅跡に建てられたもので、最初は講堂や経蔵、宝蔵しかなかったそうで、金堂は鑑真和上の弟子の尽力により8世紀の後半に完成したと言われているそうです。
以下に唐招提寺の創建時の境内図を示します。

現在は、南大門を入ると、正面に金堂、その後ろに講堂があります。講堂の西に鐘楼、東に鼓堂、さらにその東に南北に長い礼堂(東僧坊)があります。今は中門やこれと金堂を繋ぐ回廊、東塔、西僧坊はありません。
では、唐招提寺の境内を一緒に散策しましょう。
(1)南大門
年季が入っているように見えますが、昭和35年(1960年)に天平様式で再建されたものです。5間(柱と柱の間の空間が5つ)の中央に3つの扉があります。壁は漆喰壁で、屋根裏が見え、柱と梁など門の木組み構造がよくわかります。
(2)金堂
8世紀後半の創建時の姿を残す建物で国宝に指定されています。外観は正面間口七間(柱と柱の間が7つ)(中央間は4.7m、端に行くほど次第に狭くなり、最両端は3.3m)奥行きは四間、前面の一間は屋根があるだけの吹き放しの構造です。柱は直径60cm、下から2/3はまっすぐで残りは上方に向かって細くなっています。堂々としていて威厳のある建物です。堂内にはご本尊の廬舎那仏や薬師如来立像などが安置されています。

(3)講堂
平城京の東朝集殿を移築、改造したもので、760年ころに移築されてようです。国宝に指定されています。大きさは、正面九間側面四間です。講堂は、僧侶が学習するための空間で、金堂より古くからある建物です。奈良時代建立の金堂および講堂は、天平の息吹を伝える貴重な伽藍です。
(4)宝蔵と経蔵
これらの建物は、もとの新田部親王邸にあったものです。すなわち、唐招提寺建立の年が759年ですので、それ以前のものになります。唐招提寺で最も古い建造物です。北側にあるのが宝蔵、南側にあり、宝蔵より少し小さいのが経蔵です。奈良時代の典型的な高床式校倉造りで、日本最古のものです。国宝に指定されています。
(5)鼓楼と礼堂(らいどう)
鼓楼は2階建ての建物で、鑑真和尚将来の仏舎利を奉安しています(したがって、舎利殿とも言われます)。現在の建物は鎌倉時代の1240年に再建されました。江戸時代から鼓楼と言われるようになったそうです。
また、礼堂は、鼓楼の東にある東僧坊の一部です。この建物は、鎌倉時代の1284年に建てられました。南北19間の細長いたてもので、南側の8間を礼堂とし、北側10間を東室(僧坊)としています。礼堂は、隣の鼓楼に安置されている仏舎利を礼拝するための堂です。
唐招提寺の境内は木々に囲まれていて、うっそうとした森の中に小さな祠や建物が建っています。金堂や講堂の屋根も森の中から見ると、近くで見るのとはまた違った趣がありました。































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