スマートフォン、携帯電話をお使いの場合、横にしていただくと写真をストレスなく見ることができます。
前回(7月10日)、京都で行われるお祭りとして松尾祭りと今宮祭をご紹介しましたが、今回は上賀茂やすらい祭と大幣神事をご紹介します。お祭りといえば神社に祀ってある御神体を神輿に載せ、地域に渡御することが思いつくと思いますが、今回ご紹介する祭は、地域にたまった災厄や穢れを取り除き、その地域を清めるために行われる祭事です。そのため御神体を載せるお神輿は登場しません。それでは、さっそく見ていきましょう。
1.上賀茂やすらい祭
やすらい祭は、平安時代、洛中に疫病や災害が蔓延し、人々はこれを全て御霊(怨霊)の所業と考え、それを鎮めるために行われたのが始まりと言われています。京都市の北区では、現在、「上賀茂やすらい祭」、「今宮やすらい祭」、「川上やすらい祭」、「玄武やすらい祭」の4つの祭が行われ、それぞれの地区の「やすらい踊保存会」によって保存・伝承されています。2022年11月には「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。またこの祭りは、鞍馬火祭、太秦牛祭(現在休止中)とともに京都の三大奇祭に数えられています。
上賀茂地区の上賀茂のやすらい祭は、葵祭と同じ5月15日に行われます。この日、葵祭の行列を見に上賀茂神社に行ったのですが、偶然にもやすらい祭の行列にも出くわしました。
祭の行列は岡本やすらい堂を出発し、大田神社、上賀茂神社と巡り、岡本やすらい堂に帰ります。祭りの行列がこの地区を練り歩き、邪気を集め、取り除きます。
途中で寄る太田神社は上賀茂神社の東約600mの所にあり、上賀茂神社より古い神社です。参道東側にある大田ノ沢にはカキツバタの群生があり、これは国の天然記念物に指定されています。時期的には少し遅かったのですが、綺麗な花をみることができました。また神社の中には日本固有種である「タゴガエル」の生息地という案内板もありました。水がきれいな森にしか住まないと言われているそうです。声を聴いた人は何人かいるそうですが、今回は残念ながら声も姿もありませんでした。
上賀茂神社より古くからある太田神社
さて、お昼をどこで取ろうかと場所を探していたら、明神川沿いの道を見慣れない装束を着た一団が笛や鉦、太鼓をならしながら上賀茂神社の鳥居をくぐってこちらに来ました。何が始まるのかとそこにいた警備員さんに尋ねると、やすらい祭の神事がここで始まるということでした。

祭りの行列は、風流花傘を先頭にそれぞれの装束を着た人(若者や子供が多い)で構成されています。
風流花傘:昔の人は、花の咲く春に疫神が病を分散させると信じていて、この傘の中に入ると厄除けになるという信仰があります。私も傘の中に入れてもらえました。傘は、大ぶりの傘の周囲に緋色の布を垂らし、傘の頂部に生花を挿した花篭をのせてあります。洛中洛外図にその姿を見ることができます。
カンコ:緋色の振袖に袴をはき、烏帽子をかぶって、胸に羯鼓(かつこ)をつけた子供(「小鬼」とも言う)、
鬼:白小袖、白袴の上に緋色の打掛をはおり、頭にシャグマという赤髪の鬘を冠った若い踊り手(「鬼」、「大鬼」と呼ばれ、鉦(かね)を持つ者と太鼓を持つ者がいる)。鉦や太鼓を打ちながら、笛と歌にあわせてはげしく踊るさまは見ものです。
音楽隊:歌い手(「音頭」、「音頭とり」)、笛、囃し詞(はやしことば)の役などで構成されています。「いんやすらいや花や 今年の花はよう咲いた花や」と歌っているそうです。
行列は、決められた場所または辻で、歌と囃し詞、笛を伴奏に鬼がシャグマを振り乱して、鉦・太鼓を打って激しく踊り狂います。これによって厄を取り払うわけです。この祭りの形態は古く、我が国の芸能の変遷の過程を示すものとしても貴重だそうです。上賀茂神社では、大鳥居を入った所で、今宮神社に向かって遥拝した後、踊りが奉納されました。その後に本殿に進み、その前で神事と踊りが奉納されたそうです。
2.大幣神事
もう一つ、疫病退散を祈願する神事として、毎年6月8日に宇治市で行われる大幣神事をご紹介します。これは平安時代に藤原氏が宇治の平穏を願って始めた道饗祭(みちあえのまつり)が起源とされ、地元では「大幣さん」と呼ばれ親しまれています。道饗祭とは、平安時代行われていた神道祭礼の1つで、疫神や妖怪が都に入らないようにするためのもので、都の四隅の路上で、道祖神である、八衢比古神・八衢彦神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神・八衢姫神(やちまたひめのかみ)、久那斗神(くなどのかみ)の三神を祀って祝詞を唱えたという儀式です。この大幣神事では大幣に町中の厄を封じ込め、最後にそれを宇治川に捨てます。さらに大幣で取り残した厄も騎馬神人によって清められます。
市内の縣神社に大幣殿があり、祭の行列も縣神社を出発し、ここに戻ってきます。しかし、大幣神事は県神社のお祭りではなく、現在、宇治橋の西側一帯の四つの町内の人々からならなる「大幣座」によって運営されています。明治時代以前は三井寺円満院の主催で行われた祭りでしたが、明治になって神仏分離の流れの中で、この祭りは県神社が預かることになったそうです。
(行列の構成)
行列を構成するものの中で最も重要なのが大幣(傘御幣)です。長さ約6メートルの大きな幣で、3つの傘が取り付けられています。白い数多くの御幣に松の枝も付けられ、これに街中の厄(疫神)を集め、封じ込めます。黄色の傘には上記三柱の道祖神が祀られています。大幣を担ぐ人を幣差(へいさし)と言います。
大幣

もう一つの主役が騎馬神人(きばじにん)、馬に乗った神人です。神人は、白衣白袴を着て、顔を隠すように紙垂(しで)を垂らした幣帽を被っています。騎馬神人は、大幣を見守る役割があり、また一の坂で馬馳せの儀(まばせのぎ)を行います。
行列には、大幣、騎馬神人の他に、榊(さかき:神様の依り代で、榊の木には赤い猿田彦面(さるたひこめん)が吊るされている)や風流傘、さらに、裃(かみしも)や直垂(ひたたれ)など伝統衣装を身に纏って、杓鉾(しゃくぼこ:雨を呼ぶ鉾)や祭具などを手にした子供や大人も加わります。
行列のルート
祭は、先ず、縣神社前の大幣殿にて祝詞(のりと)奏上など神事などが行われます①。その後行列が出発し、県(あがた)通りを宇治橋に向かい、橋の西詰で再度道饗の祝詞が唱えられます②。その後、宇治橋通りを進み、一の坂の入口(宇治神社御旅所付近)で騎馬神人が疾走する「馬馳せの儀(まばせのぎ)」が行われ、厄を祓います⑦。馬走の儀では、騎馬神人が馬を300mの坂を全力疾走させ、3往復半します。これは中世からの儀式のままのようです。その後、本町通りを通って大幣殿に帰ります。こうして宇治の街を一周して大幣を寄り代として厄を集めます。行進の途中、何カ所かで大幣の下端を地面にコンと付ける所作も行われます③~⑥など。また、大幣が通る時には別に幣が配られており、見物人が受け取っていきますが、この弊を玄関先に備えておくと厄除けになるとされます。私も受け取りましたよ。
(大幣の投棄)
行列が県神社に戻ると、大幣殿前で大幣は三度回されます。すると、今まで上部が地面に接しないように扱われていた大幣は、ここで地面に叩きつけられ、黄色い傘などが取り外されます。そして、神社から宇治橋までの県通り約400mを幣差12人が大幣を引きずりながら全力で走り抜け、その後から見届け役の騎馬神人もそれを追いかけます。そして橋上から悪病退散を願いながら、大幣を集められた厄とともに橋の上から宇治川へと投げ込みます⑩(なお、川に捨てられた大幣は後で回収するそうです)。これにより町中が祓い清められました。朝10時ごろに始まった祭事は正午には終わりました。
























































Leave a Reply